生活の中の偶然
この記事で書いたこと:
意図していないタイミングで、無関係と思っていた物事が繋がることの素敵さについて。
世の中には、自分の意図していないところで、つながりがあったりすることがある。いわゆる「世間は狭いね」というやつ。
例えば、それぞれ別々のコミュニティで知り合った友人がいたとして、その友人たちは実は別のコミュニティで知り合いだったり。今回はそんなお話。
ふらりと立ち寄った本屋で手に取った本
今日の昼下がり、たまたま新幹線に乗る機会があり、どうせ車内で暇だからと駅ナカの本屋で小説を買った。少し前に書店で目にし、帯の「ここにヒーローはいない。さあ、君の出番だ。」に惹かれ、買おう買おうと思っていてなかなか手に入れることができなかった本。
最近はめっきり小説を手に取ることは少なくなってしまったが、それでも気になっていた本だし、どうせならこの移動時間を使って読もうと何の気なしに購入した。
見覚えのあるフレーズと先がわかる展開
新幹線の中で早速本を読み進める。
冒頭の「アイネクライネ」は、偶然の出会いをテーマにした話であった。ここからは少しネタバレも含むけど、この物語は、自暴自棄の同僚のとばっちりを受け、街頭でアンケート調査をする主人公のサラリーマンが、回答してくれた女性と後日偶然にも再開するというお話。
物語自体は、非常に丁寧に、そして綿密に作られ、読後は優しい気持ちになる、そんな話だった。
しかし、実は途中から妙な既視感というか既読感があった。
例えばアンケートに回答してくれた女性から、「立ち仕事って大変ですね」と話を振られ、「座りっぱなしも大変だと思うけど」と答えるやり取り。
そして、「自分の仕事が一番大変だ、と考えるような人間は好きではなかった。」と続く。
ここでまず違和感を覚えた。このセリフはどこかで聞いたか見た気がする、と。
そこから既視感は加速する。
街頭のモニターで流れるボクシングの試合。
街頭アンケートの原因となった同僚が、音信不通の奥さんと連絡が久々に連絡が取れたこと。
普段、1度読んだ小説は時間がたった後でも読み進めればなんとなく話を思い出すし、その時の感覚とは今回は違った。
所々知らなかったり食い違ってはいるけれど、おぼろげながらストーリー全体を知っている感覚。
ページをめくる手が早くなる。
物語の中盤で、主人公が同僚に奥さんとどうやって出会ったのか聞く場面でも、出会った理由が「横断歩道で財布を拾ったのがきっかけ」と答える。
やはりどこかでこの物語に出会っている。その思いが確信に変わった。
なぜ知っていたのか
物語のほとんどを読み進めたところで、どこでこの物語に出会ったのかを思い出した。
それは「読んだ」のでもなく「見た」のでもなく「聞いた」のだった。
自分のiTunesの中に入っていて、通勤の時とかに何気なく聞いていた曲の1つだった。
斉藤和義の「ベリーベリーストロング」。
ベリー ベリー ストロング ~アイネクライネ~ / 斉藤和義部
(ミュージックビデオがなかったからこちらを。↑↑)
これを思い出した時、全身に鳥肌が立ったし、まったくと言っていいほどその鳥肌が収まる気配がなかった。
それは既読感の原因がわかったというものもあるけれど、それ以上に、音楽と物語というものに関連性があったということに気づかされたことが大きかった。
小説だと、出てきた脇役の登場人物が今回の物語の主人公として話が進んでいく作品があるし、マンガやアニメにもスピンオフ作品なるものがいくつもある。
また、BUMP OF CHICKENのアルエは、エヴァンゲリオンの綾波レイをテーマにして作られた曲であり、こういう形で音楽と物語に関連性が生まれる作品があることも知っていた。
(もちろんタイトルは綾波レイのイニシャルのR.A(アールエー)からとっている)
しかし、まさか歌詞と小説で物語がマッチしているような作品があるとは夢にも思わなかった。
そして、それがまさか自分が普段何気なく聞いている曲だったとは。
どうしてこの作品が生まれたのか
いろいろと調べてみると、どうやら斉藤和義のファンである伊坂幸太郎が、斉藤和義から作詞を頼まれて、代わりに短編を書き、それを原案に曲を作ったそう。
このような話を考えつく伊坂幸太郎もすごいし、それを音楽の世界に落とし込む斉藤和義もすごい。
斉藤和義のために書き下ろした伊坂幸太郎作品! 音楽とのコラボから生まれた小説が〈幸せ〉を届ける『アイネクライネ』 | ダ・ヴィンチニュース
無関係と思っていた物事が繋がることの素敵さ
そこからは、ベリーベリーストロングを聞きながら何度も読み返した。
音楽と小説という、同じ言葉を扱うものである一方で、耳と目という異なる器官で楽しむものが、実はどちらも1つの物語を表現している。
幼いころからずっと本を読んできたし、J-POPも聞いてきた。
けれども、いままでは得られなかった経験を今日初めて体験した気がするし、新しい世界が開けたような気持ちになった。
それと同時に、もっともっと意外な、そして素敵なつながりで世界は溢れているのではないかと思わせてくれた。
平面と思っていたものに奥行きが存在するように、物事を一つの側面しか見ていなかったに過ぎないように、実は世界にはまだまだ知らないことがたくさんあるのではないか。
もしそうならば、もっとそれを知りたい、もっとそれを体験したいと、そう思える日曜の昼下がりだった。